1999年12月16日  東京国際フォーラム
No 1   ゆうこさんより    

99年12月16日・17日 東京国際フォーラム 

東京で初めてとなる2日に渡るBirthday Concertは、10月の神奈川県民に優るとも劣らない最高の声の調子、総立ちのアンコール(16日)(1階19列に座っていた私がアンコール2曲目の『長い夜』で後ろを振り向くと、遥か彼方の1階席の後ろまで、全員総立ち。思わず、「ウォー」と声をあげていました。)、そして、今回の秋のツアーでは珍しい3時間目いっぱいの大熱唱(17日『純』の渾身の熱唱は、圧巻!)と、もう大満足のステージでした。

今年は10月の神奈川県民ホールと言い、今回の国際フォーラム2日間と言い、本当にため息が出るほどいいステージでした。千春もとてものびやかに歌っていたし、私たちも心行くまで千春の歌とトークに浸ることができました。

今回のフォーラムは、曲目、MCの内容とも10月の神奈川とさして大きな違いはありませんでした。でも、たとえ同じ言葉であってもそれが千春の口から発せられると、その都度、また新たな思いと共に胸に染み入ります。同じジョークに何度も笑ってしまうしね。千春がオチを言う前から、もうおかしくて、笑いをこらえるのに必死でした。(^_^;)

ということで、今回は、2日間を通じて神奈川と違う部分のMCを中心に、私なりの感想を交えながら(感想ばかりかも…(^_^;))綴らせて頂きたいと思います。

では、どうぞ!

初めて行った国際フォーラムは、千春が「まるで、迷路のようだろ。俺だって、どこから入って、どこから出たかよく分からないんだから。」と言っていたように、ガラス張りの巨大な建物で、圧倒されるようでした。きょろきょろしながら歩いていると、恵比寿で見かけたダフ屋さんのおじさんにばったり。
「あんた、恵比寿にいたねえ。」
「はい、いました。」(^_^;)
フォーラムにはダフ屋さんはあまりいないと聞いていたんですが、やっぱり来ているんですね。
しばらく歩いていると、また違うダフ屋さんから、「最前列あるよ。」の声が……。私ってよっぽど物欲しそうに見えたんでしょうか。でも、「最前列」の言葉に心がぐらっと来て、「あのう、いくらなんですか?」と思わず聞いてしまう自分が悲しい…。
「今日の相場では、ま、10万かな。」
「えっ!10万…(絶句)。」
「13列目はどう?3万でいいけど。」
「あ、いいです。(^_^;)バードウォッチング用の双眼鏡でバッチリ見えますから。(笑い)」
しかし、10万とは…。「さすが千春!」と思うと同時に、毎回チケットを手に入れるために苦労している私としては、何だか複雑な気分になってしまいました。恵比寿以来、チケットの相場が跳ね上ってしまったような気がするのですが…。

コンサートがあったホールAは、いくつかあるホールの中で最も大きく、5000人を収容できます。
会場に入って一渡り辺りを見渡すと、その広さに思わず大きく深呼吸したくなるほど。

16日は44回目の誕生日と言う事もあって、始めから実に嬉しそうに笑みがこぼれる千春。
そして、何よりも会場いっぱいに響き渡る素晴らしい声の伸びが、千春の調子の良さを物語っていました。
冒頭からいつもながらの軽快なMCが、テンポ良く続きます。

「なあ、2階席のやつら、遠いだろ?俺だって、タクシーで行こうかと思うぐらいだもん。」(爆笑)
「今日は新しい歌、古い歌、また、誰も知らない歌な、そんな歌をたくさん歌わせて頂きます。」(笑い)
「おまえ達、俺はシンガーソングライターなんだぞ。今日新しい歌ができるかもしれないじゃないか。例えば、『迷路のような国際フォーラム』とかな。」(笑い)

「この間さあ、11年ぶりにいわき市に行ったんだよ。これがまた、とてつもなく古い会館でさ。それで、11年ぶりになったりなんかしたんだけどな。けっこう若い奴も来ててな。会場に女子高生なんかもちらほらいたんだよ。しかし、松山千春のコンサートにルーズソックスは、 似合わねえよなあ。ばばシャツの方がぴったりだな。(ここで、千春お得意の「会場指し!」)貴方は笑えない、笑えない。袖から出てますよ、ばばシャツが!」(笑い)

「昆布と言えば、北海道が有名だよな、利尻昆布とかな。でも、広島に行った時に、「昆布茶漬け」って言うのがあったんだよ。北海道にはないからさ、珍しくてな。で、俺、冗談でさ、『今から食べても、もうおそいですよね〜。』って言ったんだよ。冗談でだぞ。そしたらそこの店の子がさあ、『貼った方がいいと思います』だって。ひどいだろう、まったく。どうやって昆布頭に貼るんだよなあ。」(笑い)
相変わらず、頭の話題で笑いを取る千春。
「でもさあ、髪があるうちに行ってやれば良かったなあと思う所、たくさんあるな。」
ねえ、千春、私は貴方の髪があろうがなかろうが、そんなこと全く気にしません。むしろ、髪がなくなって、さっぱりしてしまった貴方のほうが前にもまして好きなくらいで…。ほんとですよ。無理して言ってませんよ。(笑い)私と同じように感じている人たくさんいると思うんだけどな。一度みんなに聞いてみたいなあ。
髪があって、ほんとに細かった「昔の千春」と、スキンヘッドになって、ちょっと体に厚みが出て来た「今の千春」と、どちらが好きですかって。私は、今の千春!ほんと正直な気持、今の千春が一番です。だって、「今、ここ」で生きて、同じ時を共有しているのは、「今の千春」だから。それに私も友達に「昔のあなたの方が良かった」なんて言われたら悲しいもの。

もうすぐクリスマスということで、今回は『クリスマス』を歌ってくれた千春。
千春が歌うと、クリスマスもこんなに叙情的になるんですね。
♪ 街は華やぐ 人波に 流されていく僕だけど………
  街は浮かれて 人波に やがて取り残されていく………   ♪

華やかな雑踏の中で、独り自分の思いに沈潜する千春。独りでいることは、それは、寂しい。
でも、深い思いに到達する為には孤独と向き合うことも大切です。何かを深く深く考える為には、人は独りになる必要があるし、独り自分と対話する時を持っているからこそ、他の人ともより深くつながっていくことができる、そんな気がします。
独りになる強さを持たないとき、人は烏合の衆になってしまう危険性を孕んでいるような気がします。

何だかコンレポというよりは、私の感想集になってしまっていますねえ。(苦笑)

神奈川では歌わなかった曲としては、本編では他に『時のいたずら』がありました。
高音部もきれいに伸びていました、千春の声。
「ふるいつきたくなるような声」と、私の母はよく言います。

本編の中で、非常に印象に残ったのは、16日に歌った童謡の『赤とんぼ』でした。
今回のツアーでは、作詞をした三木露風の故郷である兵庫県龍野へ行った時に、最初に歌ったようです。
「『赤とんぼ』はな、露風が北海道トラピスト修道院に講師として赴任していた時に、故郷を思って作った詩なんだ。」
千春も、あちこちの旅先でふるさと北海道を思って曲を作ることも多いのでしょう。
『赤とんぼ』を、こんなにしみじみと聞いたのは本当に久しぶりでした。
思わず目をつぶると、目の前にどこまでも続く夕焼けと、赤く染まる空を背景に群れ飛ぶ赤とんぼの光景が、まるで一枚の絵のように鮮やかに広がりました。千春の声は、こんな正統的なシンプルなメロディーに乗った時が、一番光るような気がします。千春の声そのものが持つ美しさを心から堪能できた1曲でした。
もう1回聞きたいなあと思っていたので、17日に歌ってくれなかった時はちょっと寂しく感じました。

それから、千春が尊敬する下田逸郎さんの『セクシー』。
これは、少し前の「風にのせて」で、初めてオリジナルを聞きました。
「下田さんの歌って、思わず、『もっと腹から声出せ!』って言いたくなるような歌い方なんだよな。」と千春も言っていたように、まるでくらげのようにあてどなく浮遊しているような、一種独特な歌唱法。「でも、下田ワールドがあるんだよな。」
確かに、一度深くはまってしまった人は、とことん魅せられてしまうのかもしれません。
「下田さんてさ、俺のこと『スーパースター』って呼ぶんだよ。いい先輩だろ?」(笑い)
「『スーパースター、元気?』って電話かかって来るんだよ。で、突然さ、『明日エジプト行かない?』
『下田さん、エジプトって、アフリカのエジプトですよね?』
『そうよ。』
『下田さん、エジプトって、明日行くとかそう言う場所じゃないんじゃないですか。何ヶ月も前から、旅行の本とか買って、色々調べてから行く所じゃ…。』
『明日行けない?』
『そりゃ、無理ですよ。』
『じゃ、来週は?』(笑い)な、すごい人だべ?」
「俺達の仲間が集まるとさ、話すことって、ゴルフの話とか女の話とか、まあ、そんなとこだな。でも、下田さんは違うんだ。下田さんは、『ねえ、スパースター、いい旅しようね。』っていつも言うんだ。なかなか言えないぞ、なあ。」

下田さんは、歌いながら、漁師をやったり、農業をやったりもしたらしいです。
今回の話を聞いて、千春が下田さんに心酔する気持がよく分かりました。
下田さんにとって、歌うことは仕事じゃないんですね。職業じゃないんですね。
ましてや歌う為に生きるのではないんですね。そうではなくて、生きているから歌うんですね。
だから、いわゆる「歌手」としての自分の前に、一人の人間下田逸郎がいて、それは色々な事をしながら毎日生活して、その中から歌が溢れ出てくるんですね。
だから、別にテレビに出なくても、大きな会場でコンサートをしなくても、そんな事は関係ない。
そんなことには捕われない。だって、生きている限り、歌は溢れ出てくるんだから。
CDを出す為に、生活する為に、歌っているのではないんだから。
フォークシンガーとしての原点がここにあると思います。
そしてそれは、千春がいつも「歌」に対して思っていることだと。

かって千春はこんなことを言っていました。
例えば、売れなくなって、コンサートにお客さんが来なくなって、みんなに見向きもされなくなっても、俺は平気だ。そうなっても、俺はきっと歌を歌っている。クラブとかバーの片隅でさ。
「歌手」松山千春である前に、俺は人間、松山千春だから。
コンサートで歌えなくなっても、そこで千春の人生は終わりではない。
たとえ今のように声が出なくなってしまったとしても、毎日生きている限り、千春は歌い続けるでしょう。生きているから、歌うのだから…。
だから私達も、千春が歌いつづける限り、見守り続けるからね。(^_^)

千春の歌う『セクシー』は、下田さんとは全く違う雰囲気で、また味わい深かったです。

千春が影響を受けた関西フォーク。岡林信康、加川良、高田渡…。
「最初に聞いたのは小学校3年か4年の時だったかなあ。
例えば、『三谷ブルース』
 ♪ 今日の仕事は辛かった〜
   あとは 焼酎をあおるだけ〜♪
な、小学校3年でこれだぞ。分かるだろう、俺の人生どんなに暗かったか。」(爆笑)
小学生としての千春はずいぶん大人だったのですね。まだ他のみんなが、他愛ないことでわいわい遊んでいる時、千春はもう自分の人生と真剣に取り組んでいた。物の本質を見極めようとする千春の鋭いまなざしは、この頃から芽生えていたのですね。「この世界に入って、こうした先輩たちに会う機会を持てた。でも、夢が破れたなあ…。」
千春が深く心を揺さぶられた、当時の真摯な感受性を持ち続けている先輩たちはいなかった。
その中で、下田さんは唯一の例外なんでしょうね。

ワイドショーは欠かさず見る(笑い)という千春が今回取り上げたタイムリーな話題は、ライフスペースや法の華などの問題。
「信仰っていうのはな、本来感謝の気持だろ?それが、御利益信仰になってしまっている。人間の欲ってとどまる所を知らないから、ああして欲しい、こうして欲しい、ってな、どんどんどんどん行くんだ。
例えば、ライフスペースでもいい、オウムでもいい、車椅子の人間とか、体に障害を持った人間とか見たことがあるか?ないだろ?彼らはな、現実問題として、不自由な手と足とどうにかして付き合っていかなきゃならないんだ。
たとえ、不自由であっても、そうした現実から逃げないで、自分のこの手と足と一体どうやって付き合っていくかそう言うことを考えているんだ。たとえ不自由であっても、一緒にやっていかなきゃいけないんだからな。五体満足な人間に限って、何百万とか、何千万とか金払って、ああして欲しいこうして欲しいなんて言うんだ。」
「俺、いつも言ってるじゃないか。『この世の事はこの世で、あの世の事はあの世で』って。あの世の事はあの世で考えればいいんだ。時間はいくらでもあるんだから。だから生きている間は、「今、ここ」を大切に考えて欲しい。現実の中で夢を見るのはかわまないぜ。でも、夢の中から現実を見ちゃ駄目だ。そんなことしたら、浮世離れした生活をしなきゃならなくなっちゃうからな。」
「あの世へ行ったら、この世の事は考えなくていいんだ。この世の事が気になって、見に来たりするな。それは、お化けって言うんだから。」(爆笑)

先日放送されたBSについて。
「最初はさあ、出るつもりはなかったんだよ。そしたらNHKの担当ディレクターが、『他の人は90分なんですが、松山さんは2時間で』って言うんだよ。俺、こんなこと言ってるけど、弱いんだなあ…、特別扱い。(笑い)」
「NHKはあまり出ないんだよな。歌ってるときな、(譜面台を指して)これが邪魔だって言うんだよ。絵面が悪いんだって。
『これなしでできませんか?』って言うからさあ、俺は、マネージャーに『ゲン、帰るぞ!』って。
そうすると、松山千春は生意気だとか、態度がでかいだとか、口の聞き方が乱暴だとか、美しすぎるとか…(笑い)言われるんだよな。でも、譜面なしで歌えってことは、俺に歌うなって言うことだから。」譜面なしでは、あの『恋』でさえ歌えないという千春。こんなに歌詞見ないと歌えないことを豪語できるのは、千春だけですね。(笑い)

本編でインパクトがあったのは、前述の『赤とんぼ』と、やっぱり『残照』『明日のために』『残照』には、ささやかな人生をどこまでも肯定していこうとする千春の、強く温かいまなざしが感じられて、千春の歌の原点を感じます。
澄んだ声が伸びやかに、フォーラムのホールに広がって行きました。

アンコールでは、なんと言っても「恋愛のうわぁーっていう曲やってなかったな」と言って歌ってくれた、17日の『純』の大熱唱。
神奈川でもすごかったけど、フォーラムもほんとに良かった!千春の迫力ある絶唱を聞くなら、この曲が最高だと私は思うのですが。

それから、17日には、弾き語りで「この世で一番君が好き」を歌ってくれました。
16日にはなかったので、まさかと思っていました。
99年最後のとっても素敵なプレゼントでした!
ありがとう、千春。

そうそう、16日には小淵首相から電話があったそうですよ。「『小淵さん良かったですね。国会無事に終わって。運が良かったですね。』(笑い)そしたら小淵さん、『BS見ました。2時間全部見ました!』それを言いたかったらしいな。他にもっとすることあるんじゃないかあ。(爆笑)」

今回コンサートに行ってみて、気になったことが二つ。
一つは、私の斜め前の席で、最初から最後までペンを握り締めていた男の方。
暗い中で、メモを取り続けていました。おそらく、コンサートレポートの為でしょう。
他人事ながら、十分コンサートが楽しめたのだろうかと、心配してしまいました。
私も、レポート書く時、あれ、千春なんて言ったっけとか、順番が思い出せないとか、色々ありますよ。(だからいつもMCは順不同!(笑い))でも、一番大切なのは、その瞬間を千春と一緒に笑ったり、考えたりしながら、口からこぼれたとたんに消えていき、そして私達の心の中にしか残ることのない「その時の千春の歌」を感じることだと思います。「俺の歌を聴きたかったら、CDを聴けばいい。」と千春はよく言います。「CDなら歌詞を間違えることもないし、いつも同じに歌っているから。」でも、99年12月16日17日に歌った千春の歌は、形としては残らない。もう二度と聞くことはできない。たとえビデオになって後から見ても、その時の空気の震動を感じることはできない。「それは、おまえ達の心の中にしか残っていない。でも、それがいいんだ。だから俺は、コンサートが好きなんだ。」
一生懸命メモを取るその方を見ながら、そんなことを思いました。

それから、もう一つ。これは今回のコンサートに限ったことではないのですが、アンコールで、「立つか、座るか」という問題です。アンコール1曲目のイントロが流れた時、私の気持は、立って千春を迎えてあげたい!千春ありがとう!って言いたい!
でも、同時に、立ったら後ろの人が見えないかもしれないなあ…。悪いなあ…。という気持も。で、結局、立っても座ってもどこかもやもやした気持ちがあるんです。
そこで、思ったのですが、アンコールの時立つのは、千春に対するstanding ovation(スタンディング・オベーション)だと考えたらと…。アメリカなどでよく行われる、全員で立って賛辞を表すあの方法ですね。アカデミー賞の授賞式や、スポーツの表彰式などで、よく見られますね。
千春、今日は本当にどうもありがとう!あなたの歌で、言葉で、私達はこんなにも強く、そして幸せな気分になれた。ほんとにありがとう!そう言う気持を込めて、スタンディング・オベーションで千春を迎える、そんなふうに考えたらどうでしょうか。
「私が千春を見えなくなる」ではなくて、「千春ありがとう!の気持を千春に伝える」って考えたら。
それに、ずっと立ちっぱなしっていうわけでもないですよね。『純』みたいに聞かせる曲になればみんな座るんですから。だから、最初の何曲かは、立って千春を迎えてあげたらと思うのですが。どうでしょうか。
あくまで私の個人的な意見ですが。
車椅子で立てない方とかの問題もあって、色々難しいこともありますが、私は今回そんなことを考えました。

コンサートレポートと言うよりは、私の感想レポートになってしまいました。
読んでくれてどうもありがとう。

また 来年の春千春に再会できることを楽しみに、今年最後のレポートでした。

                                          ゆうこ

No 2   りょうさんより

松山千春コンサートツアー「俺の人生」’99秋

(1999.12.16(木)
東京国際フォーラム・ホールA
開演:1946終演:2120)

( 黒の上下、上着はロング。ワイシャツ?白。靴?黒。サングラス)
優しい風
   MC 今日44才になった(満場拍手)。
      横の席の人・後ろの席の人、お前達のことは一分一秒たりとも忘れない、
      心配するな。
クリスマス
僕なら
   MC 伯方島にいった。昼間は島民は海の中にいる。秋田湯沢にも。小野小町
      のふるさと、みんな美人というがオノノコマッチマッタダ
      俺の昔の歌が聞きたい人?拍手多数?わかった、皆おれの髪がふさふさ
      していた頃がいいのだ。
      広島でこんぶ茶漬けを頼み、女の子に冗談でもう手遅れだろうなとい
      ったら、張りつけないとと言われた。
銀の雨
人生の空から
   MC メンバー紹介。
      懐妊の兆候の報道、はっきりしてから報道すべき。金の為だろうが酷い。
      BSに出た。あまりNHKとは合わないが、俺だけ120分、他の連中
      は90分。二つ返事でOK、こう見えても特別扱いに弱い。
愛という名の旅
   MC ジャアンツ馬場の話。
      思い出に効くか効かないか判らないあの脳天唐竹割りや16文キック
      を受けておけばよかった。
チャンプ・ネバー・ダイ
   MC 8月にこうせつのコンサートに出た。陽水、拓郎、中村?子、
      中村さんは「翼を下さい」ではなく、若さを下さいだ、縦横に皺、しみ
      もあり、斜めにも皺、ビンゴだ。
翼を下さい
      陽水、拓郎もいた。(以下一節づつ)
夢の中で
結婚しようよ
人間なんて

      拓郎・谷村・さだ・武田は嫌い、生理的に合わなくて駄目。
ガリレオ
   MC 兵庫の竜野に行った。三木露風のふるさと。その後函館に、露風は函館
      に居たことがありその時故郷を偲んで作ったといわれるのが「赤トン
      ボ」
赤とんぼ
午前3時
   MC 寓話。
      イソップは知っていると思う。
     「北風と太陽」?太陽が暖かく照らすと旅人は熱射病で死んでしまった。
      過ぎたるは及ばざるが如し。
     「蟻とキリギリス」?冬になってお腹を空かせたキリギリスが蟻に助けを
      求めにいったらドアが開かない。入ってみると死んでいた。過労死。キ
      リギリスは蟻が貯めたえさで一生楽に暮らした。
     「きこりと金の斧」?水の神のヘルメスの頭に斧がささり流れて行ってし
      まった。
      神様でも油断するといけない。
      お前達ちゃんと読んでいないんじゃないか。
     「都会のねずみと田舎のねずみ」
      自分のペースでのんびり暮らしたい。
残照
   MC 夏目漱石→草枕
      草枕の冒頭を朗読。
      お互い只の人
明日のために

アンコール第一部
(白のワイシャツにベスト?後ろはグレー、前はグレーに黒の太い線が左右4本ずつ入った縞。ズボンはグレー。靴?黒。サングラス)
夢の旅人
長い夜
SWAY
北風
  MC 嫌いな人ばかりじゃない。
     下田逸郎は尊敬している。ひょうひょうとした下田ワールドを持っている。    
    「千春、明日からエジプトに行かないか」「あのアフリカのですか。急には
     無理です」「じゃあ、来週は」。そんな問題じゃないだろう。
セクシィ
    小田和正はどうしているのだろう。
さよなら
    サンデーフォークの井上社長が死んだ。コンサート中で葬儀に行けなかった。
    一所懸命フォークソングを愛した人
雪化粧

アンコール第二部
(薄く明るい黄色の上着、ズボンは黒。靴?黒。サングラス)
大空と大地の中で

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