2012年5月16日  東京国際フォーラムホールA
No 1   もるるんより  
 

2012.05.16 「松山千春の世界」 東京国際フォーラムホールA
 
 
2012春ツアー。初日の厚木に引き続き、2回目の参加です。初日の厚木は、最前列という(端っこだったけど)すばらしい席だったこともあって、大興奮。初日なのに、パワフルですごいコンサートで感動ひとしおだったもので、この日も期待が高まります。

が。。。今回の席は2階の13列。さらにはやっぱり端っこ・・・うーん、見守る会席なのに??
でもね、私のまわり、ほとんどみんな2階席だったんですよね〜これもまたすごいな〜
2階の8列くらいから、15列くらいまでって、見守る会席の比率高いんですけど。
 
席も今一つで、気持ち的に盛り上がらないのに(初日との落差が大きすぎ)、前日、声が今一つだった情報が入り。。。ますますテンション低め。というか、心配。
半分不安になりながら、開演を待ちます。

さらなる不安は、チケットを取ってくれたお友達が、仕事が超超忙しくて、来れないかもという連絡があり。。。そっちも心配です。
(結局、本当に残念ながら、お友達は仕事が終わらず来れなかった)
 

1ベルはぴったり18:30。

2ベルは約5分後になり、場内暗くなると、会場から大声援。相変わらず男子の声援多し。
 
幕が開き、メンバーの演奏の中、千春が登場。会場の大拍手、歓声
 
1曲目「風光る」
 
大丈夫そうだよ。声。ちょっと安心。ホッとしました。
それにしても、2階13列は遠い。遠すぎる。
千春の衣装は。。。上は白いジャケット。背中のとこに切返しっぽい?ウェスタン調のジャケットでしたね。
 
まずはあいさつ。
 
「ありがとう。大変長らくお待たせしました。東京の千秋楽がやってきました(笑い)あっという間の二日間でした」
「幕が開く前から、「千春〜千春〜」とね。」会場、さらに千春〜という声多数
「これはあの、重みを感じますね(笑い)気がかりなのは男の声が多い(笑い)」負けじと女子の声が・・・

「なんせ、デビュー35周年ですからね」(大拍手)
「デビューして35年がたち、まあ、2階席から見てもわかるとおり、あのころには考えられないくらい姿かたちが変わり(笑い)、私もまさかこのようなヘアスタイルになるとは思わなかった」
「けど、お前たちは「今の方がステキ」とか言うけどさ、そんなもん、髪があった方が絶対いいに決まってる。俺もそう思う」

「なあ、1曲1曲にお辞儀するたびに髪をかきあげてな」
「どだい今は、風がどっちから吹いてるかもわからん(笑い)」
 
「35周年ということで、古い歌、デビュー当時の歌もいろいろ歌わさせていただきます」(拍手)
「もうほとんどのお客さんは新しい歌は聞きたくない(笑い)そんな気持ちがステージ上にひしひしと伝わってくるよ(笑い)」
 
「じゃあこんな歌から」
 

2曲目「ピエロ」
 
サックスの演奏から始まったこの曲。。。ん?なんだ?って一瞬がわからないですよね。「ピエロ」でした。
ちょっと、千春つらそう。。がんばれ!!テンポが速いところが特にね。
 
続けて

3曲目「良生ちゃんとポプラ並木」
 
お〜なつかしい。厚木ではやらなかった曲だから、ちょっとうれしい。
 

「「ピエロ」と「良生ちゃんとポプラ並木」この曲知っていた方?」会場大拍手
「お!みごとだな。ということは、デビューしたころから知っているってことだな」
「よし、今日は無礼講で行こう(爆笑)」
 
「良生な、柚原良生な、俺は東ってとこに住んでて、貧乏人のあつまりでした(笑い)」「正面の矢野さん、隣の小林さん、熊谷さん、みんな貧乏人でした(笑い)」
「そして、町長やってた土田さん(と聞こえた)とか柚原さんとこは金持ち(笑い)」
 
「良生には兄がいまして、今は名前も忘れたけど(笑い)無礼講ですから(笑い)」
「その兄貴がフォークソングやってて、あいつんとこに遊びに行って、「この音楽って何だべか。琵琶法師か?(爆笑)」」「そしたらね「千春、あれが今はやってるフォークソングだよ」「ふうん」みたいなね」「それで、良生に、ギター教えてもらって、これがAm、Dm、E7。これ全部良生に教えてもらった」
 
「そして、うちの高校は、名門足寄高校(笑い)」「なんせ、政治家が二人が逮捕されている(大爆笑)」「特に、宗男くんは、立派にお勤めも終わり(笑い)」
「あれさ、おとといかな、北方四島、昨日、沖縄、本土復帰40周年の式典に出てた、なかなかいないぞ、北方四島の次の日沖縄なんて(爆笑)」「なんであんな元気なんだろうな。コツをききたいよな」

「名門足寄高校は毎年、学校祭で、中庭で、フォークソングをね。先輩たちが代々やってて、俺たちのときにもね」
 
「俺は、バスケットだからな、高校の時」「まあ、2階席からは見えないだろうけどな。俺、こう見えても193ある(笑い)いやいや見えないだろうよ」「血糖値が(爆笑)」「それで糖尿だってわかったんだけど(笑い)」
「俺は170センチなんですね。俺はバスケットで食っていこうかなと思ってたんですけどね」
 
「俺と同学年に、小野寺のりおってのがいてな、知ってるか?(笑い)」
「のりおが高校3年のときな、拓郎が好きだったんだ。吉田拓郎」

♪しぼったばかりの〜 とちょっと歌う

「なあ、絞ったばかりの乳なんていくらでもあるじゃないか(笑い)今更いわなくてもな」

「こいつ同級生なんだけどな、仲悪くてな(笑い)要は、小野寺が嫌いなばっかりに、俺は、小野寺が好きな拓郎が嫌い(爆笑)」「な、だって、俺は高校生だったから拓郎なんて面識ないもん。小野寺が嫌いだったからだもん」

「それがプロになって何年かたってな。フォークの連中がみんなが集まったときがあって、小田和正とかもいて、俺の嫌いな小室等とかな(笑い)、あと、陽水とかもいたな」「そんときに拓郎に言われたんだ「千春、俺はお前がデビューしたときから好きじゃない(笑い)」「拓郎、俺はお前が、高校のときから嫌いだった(大爆笑)嫌いになったのは、ずーっと俺の方が早いんだ(笑い)」って」「それ以来、深まった溝が狭まることもなく、今日を迎え(笑い)」
 
「良生がいてよかった、フォークソングと巡り合えて、ここまで歌ってこれて」
 
「今日は1部2部構成で、当然1部も2部も歌ですよ(笑い)何?お前たち、期待するんじゃないよ。2部は脱ぐんじゃないかとか(爆笑)」
「1部が終わったら、スクリーンが下りてきて、メンバー紹介とかな、何の価値もない情報が(笑い)ただ流れる」
 
「1部は、自分がデビュー当時の歌とかね、いろいろ」
 
「このメンバーで回ってるんでね。ねえ、ここ何年間か変わらず」
「夏目なんか、俺と何年になるの?」(夏目さん、「20年」と答える)
「え?20年?」(会場拍手)
「俺、20年もあいつに足を引っ張られてるんだ(爆笑)音楽的なとこでじゃないですよ。あいつは私生活で足を引っ張ってくる(笑い)」
「ねえ、ってことは、たつも20年か?ももちゃんは?」
「え?28年」(会場拍手)
「ほ〜だてに年を取ってない。ももちゃん72歳ですか?」(ももちゃん否定。もっと下という手振り)
「え?71歳?数えで言ってしまった?(笑い)」
「ももちゃんは、ホントは俺より2つ下か?34か?(大爆笑)」「いいじゃないか。もっと自分の年を考えなさい」(笑い)
 
「この頃、足し算引き算が弱くなったな(笑い)」
 
「そのうち、また「良生ちゃんとポプラ並木」歌うかもしんないけど(爆笑)間違えても「さっき聞いた」とかいうんじゃないよ」「中には客の方が「この歌!この歌!ずっと聞きたかったんだ(笑い)」「さっき歌ったじゃないか(笑い)」」
 
「どんな形になっても、でも、みんなとこうやって、コンサートやっていたいな」(大拍手)
 

4曲目「もう一度」 
 
声がつらそうだ・・・心配だ。
聞いてるこっちの方が苦しく、だんだん顎があがってしまう。がんばれ!!
 

「俺は、恋愛の曲をいっぱい作ってきました。それくらい恋愛してきたということです」

「二股とか三股とかそういう問題じゃない(爆笑)」
「コンサートでいつも言ってるけど「二兎追うものは三兎追え」(爆笑)二兎追う元気があれば三兎追えるじゃないか(笑い)」

「いろんな意味でいろんな人間とつきあいをして」
 
「俺は高校のときはバスケットのことしか考えてなかったからな。女のことは1つも」「疑いの目で見るな。バカ(笑い)」
「これは俺の同級生に聞いてくれや。わかるから。千春は女嫌いだったって」
「とにかく、バスケットの練習中に、女から「千春あとでつきあってもらえない?」とか話しかけられると「ばかやろ!今、バスケットの練習中だから後にしろ!」」「あとが楽しみだな(爆笑)」
 なぜかここで、メンバー大爆笑
千春、後ろ向いてメンバーに
「お前らにしゃべってんじゃないぞ!」(笑い)
 
「それくらい女嫌いだったんだ」
「それが、高校出て、北見でバーテンとストリップの照明やって。あれから俺の人生変わったな。さざなみのように」
「足寄には働くところがないから、北見に行ったんだ。メイゾンマヤっていうクラブ、ねえ、田舎くさい名前だろ」

「ここでストリップの照明とバーテンもやってた。だからバーテンやってるんだけど、ストリップが始まったら、音楽かけて照明当てるという、なかなか忙しい」
「ストリップってひと月で回っていくんだ。たまに若い子も来る。俺は18だったから、20才くらいの女の子な」
「だって、60でストリップとかとんでもないんだぞ。どう照明あてればいいのよ。(爆笑)いっそのこと真っ暗にした方がいい(笑い)」
「60才のストリッパーのおばあちゃんとかだぞ。「姉さん、なんで60で踊れるのさ?」「実は孫ができて、孫におもちゃのひとつでも買ってあげたいから、それでまた脱ぐことにした」「そうか〜けど、年金入るでしょ?(爆笑)」あれは衝撃的だったな」
 
「ストリッパーの連中って、いろいろ回ってるんだけど、半年くらいで帰ってくる。20才くらいの子かな。帰ってきたら体に傷がある。ねえ、悪い男にひっかかったんだろうな。いわゆるDVだよ。そんな傷作って、女は大変ですね〜って思ったもん」
 
「そのメイゾンマヤのホステス連中は、俺がいちばん年下だからな。57歳の現役のホステスもいたわけだから。じゅんこ(笑い)忘れもしない。一番若かったのがのりこ、それとかのぶこ。そいつら見てると、女って嫌だな〜って。こっちにいい顔して、そっちにもいい顔して」
「のぶこ。俺、その頃あだ名がアトムだったから。髪がアトムのようにな(爆笑)」
「のぶこがさ「アトムちゃん、あのね、ちょっと店掃けたら、1時にこの人と待ち合わせで、あっちの彼とは2時だから、頼むね」とか言われるんだ。俺はもう「アトム頑張る!」(笑い)。女ってそんなもんかよ」
「それで普通の人たちを見る。そうすると普通の女の子たちが実に清楚に見えた」
 
「ところが、水商売に1年もいると、こいつらやたらと女らしいなって。自分の持っている女の武器を最大に使って、子供を食わしたり。それを理解しながら。こいつらこそ、女の中の女だな」
「一般女性を見ると、ダメだな。こういう苦労も知らないで(笑い)」
 
「あの辺からだな、女に対する気持ちが変わったの。どんどん変わったのかもしれないな」
 
「しかし、女子にはどんなことをしてもいい女であってほしい」「いくつになろうが、70でも80でも、無理してでも、君は相当無理しないと(笑い)、いい女してください」
「男は無理してでもいい男でいてください」「金があろうがなかろうが、どんな場面でもいい男してください」
「そうでないと、いい女は育たない。いい女を育てるのは、いい男ですから」
「男子諸君、責任を持っていい男してください」
 
「私は普段着のままで十分だと思います(笑い)無理してフォークシンガーやらせてもらいます」(大拍手)
 

5曲目「引き潮」
 
この曲、千春好きですよね。切ないけどいい曲です。
 
千春はお辞儀をして、マイクをおいて退場。
スクリーンが下りてきて、1部は終了です。
 

スクリーンは、まずはメンバー紹介。

メンバーは秋と同じ。
 
そのあとは、舞台の「足寄より〜旅立ち」の主役オーディションの模様。

審査委員長は富澤一誠さんなんですね〜
三浦祐太朗さんが主演に決まりましたね。
 
あ!この舞台のチケット、見守る会で取れました!行ってきます。
 
昔の映像などがスナップショットや動画で入り・・・懐かしいな〜
 
プレミアムライブの模様も流れました。あの3/20のやつね。私がニアミスしたってやつ。
司会は桂竹丸さんでした。
相変わらず、曲の映像はなし・・・毎回、徹底してるな〜
 
ライブの模様の途中途中に昔の映像とか写真がはさまれる編集だったんだけど、
「今夜は決めよう」のラジオ本番中の映像は懐かしかった。
私が・・・初めて、ハガキが読まれたのはこの番組でした〜
 

そして、2部です。
 
6曲目「human」
 
照明がちょっと凝ってて好きでした。衣装は。。。遠くてよくわからないけど、相変わらずストールはしてました。
話の最中でも歌の最中でも、しょっちゅう落ちてきてて巻きなおして、大変そうだけど。。。
そういえば、厚木は一番前だったのに、全然衣装覚えてない・・・(汗)
 
で、この曲聞きながら、思ったんだけど、千春のステージって、今流行のレーザー光線使わないよね。私が行くライブとかコンサートは、レーザー光線を効果的に使ってて、それがすごく素敵なんだけど。。。千春はピンスポメイン・・・・ある意味シンプルで千春らしい。
 
 
「これより2部になります。第一回目のお色直しもおわり(笑い)」

「「human」という曲を聴いてもらいました。どこから始まってどこがエンディングなのかわからない(笑い)もやもやっと終わったりするんだけどね。これでいいんです(爆笑)間違いはないです」

「夏目、どこが終わりかわかるようにしろよ、最後もやもやもやもや(笑い)」
メンバーに向かって
「一番最後まで音出してるの誰?ももちゃんと、中道?」
「サッと終われよ。1回練習してみよう。ちゃんとやろう。ロンドンに向かって(笑い)」
 
メンバーが始めようとしたけど、エンディングだけって難しいらしく一瞬とまどって(会場爆笑)
サックスからエンディングを始め、ギターとピアノだけになって・・・
最後、おもむろにシャン!と終ったら、これがまたおかしくて、会場大爆笑
 
「なんか体調が悪いみたいだな(爆笑)そうやって考えると、バン!ってできないんだな」
「今やってわかった(爆笑)これがもやもやでいいんだな(笑い)わかりました。客が素人だなって」
 
「2部はいわゆるフォークシンガーね。誰がみたって俺が演歌歌謡曲じゃないってわかるだろ」「2階から見てもアイドル系でないことはわかるだろ(笑い)」「そのうち、飛んでってそっち行くから(爆笑)」「J-POP、K-POP、毛がないんだから(爆笑)」「フォークシンガーです」

「2部は昔のフォークシンガーらしい曲の数々を(拍手)数々ですから、2曲はやります(爆笑)」
 
「俺がなぜフォークソングに魅せられたか」
 
「あ!さっき見ていただきましたけど、3/11に盛岡、13に仙台で、俺と正やんと中村雅俊さんと、復興応援コンサートを、やってきまして」「要は盛岡の皆さんも笑顔で、1年たって大変だったろうけど」「そういう意味では楽しいステージでした」

「特に正やんと雅俊さんはリハーサル大好きで、あれは困りましたね(笑い)私、リハーサルしたくないんです」
メンバーに向かって
「俺ってリハーサルしない方だもんな」
メンバーの皆さん、うなづく
「今日だって、メンバーはけっこう音だしやってるけど、俺が来て、「おはようございます」そんでPA、照明に「おはようございます」」「うん、あ〜(咳払い)声でてる?OK!」(笑い)大体そんなもんだよな」

「正やんは長ったらしくやるんだよ。そのくせ、本番は短い(爆笑)」「こっちはリハーサルは短い短い、そのかわり本番は長い(笑い)」
 
「正やんの「なごり雪」お前ら、「なごり雪」って言ったらイルカの方で知ってる?あれは、伊勢正三の作詞作曲だからな」「あれはいけないよな。あの歌はいけません(笑い)反則!」
 
♪今、春が来て君はきれいになった〜去年よりずっときれいになった〜♪(ワンフレーズ歌う)
 
「女子、こうやって言われて悪い気するやついるか?春が来てきれいになった。去年よりずっときれいになった。去年ってどの去年よ?(爆笑)去年どうだったのよ。あれは反則だよな」
 
「雅俊さんもそうだな」

♪悲しみに出会うたび〜(こちらもワンフレーズ歌う)
 
「なんだかんだ言って、みんなの中で、雅俊さん一番ヒット曲多かった(爆笑)情けないよな」
 
「俺さ、忘れてたんだけどよ。30年前、お前、中村雅俊さんの奥さんがアイドルの五十嵐淳子だって知ってる人?」会場大拍手
「な、あの五十嵐淳子さん、美しいよな」「俺、好きだったんだ」(笑い)
「それが30年前か、まだ結婚する前、要は中村雅俊と五十嵐淳子が、できてるなんて言ったら、大スキャンダルだろ」

「雅俊さんから俺に連絡が来て、「千春。実は女を連れて札幌へ行く。千春案内してくれないか?」「大丈夫ですよ。どこにも漏れちゃいけないんでしょ。俺は誰より口が堅いですから(笑い)」」
「「女って誰ですか?」「五十嵐淳子っていう」「え?あの五十嵐淳子?ほう〜ほう〜はい、わかりました。すべて俺にお任せを(笑い)」
「そんで、千歳空港に迎えに行って、札幌あっちゃこっちゃ案内して。これが大倉山とかな」
「俺は淳子さんのことが気になっちゃってて、「雅俊さん一人でどうぞ(爆笑)」」
「小樽の運河とかも行ってさ、やっぱり淳子さんのことが気になってさ、雅俊さん運河にはまってくれないかなとかな(笑い)」
 
「そんで札幌時計台見せてやってさ、お前らも見たことがあるかもしれないけどさ、見たってどうしようもないもんな(笑い)あれは日本3大がっかりの一つだよな(大爆笑)」
「全国回って、日本3大がっかりは、札幌時計台、高知のはりまや橋、長崎の思案橋(笑い)日本3大がっかり(笑い)みなきゃよかった、こんなもん」
 
「そんで、ホテルで1晩すごして、また空港に送っていく。そういうことをやってたんだ。俺は忘れてた(笑い)」

「この間、雅俊さんに言われて、「あのときはありがとうな。千春は僕たちの愛のキューピッドだ(笑い)な〜んか言われたりして(大爆笑)」
「愛のキューピッドだぞ。今なんか、ただのキューピーちゃんだろ(大爆笑)」
 
「何があるかわからないな人間ってな」
 
「それと、今度俺の舞台をやるんだけど、三浦祐太朗くん。あれはオーディションでね決まったんだけど」「審査委員長が富沢一誠、音楽評論家だろ」「そんで、審査員に俺はいなかったけど、俺のファンクラブ、見守る会の人もね、俺のファンクラブの人が見て、この人がいいって一番フェアだよな」

「そんで結局、三浦祐太朗くんになった。お父さんが三浦友和、お母さんが山口百恵。これはディープインパクトとウオッカを掛け合わせたような(笑い)超優良だよな」
 
「この間、うちの、おふくろ93歳ですけどね、元気なんですよ。何回かお迎えが来てるみたいだけど、断ってる(爆笑)」
「15年前におやじがなくなって。あれ、おっかあも子宮がんで、いつだっけな?摘出手術。おっかあも、やべえな、長いことないな、そんときおやじは元気だったんだけど」
「何のことはない。手術終わったらどんどん元気になって(笑い)弱っていったのはおやじのほうで」「予想と全然違うんだもん。3コーナー付近からおやじがよろよろしちゃって、
4コーナーでぐわーんと差して(笑い)」
 
「その、93のおっかあが「千春、お前今度舞台やるんだって?」「いや、俺がやるんじゃない(笑い)」」
「「前映画あったべ、「足寄より」あれ今度舞台になる」「俺のその役を三浦祐太朗っていって、三浦友和わかるか?」「誰さ?」誰さって言われてもな教えづらいからな」
「「じゃあ、あれわかるべ。山口百恵はわかるだろ」「あ〜山口整骨院さんの娘か?(大爆笑)」確かにうちの横、山口整骨院なんだけど、その娘さんじゃない」
「「山口百恵だよ。わかるかな?もしかしたら、俺の女房になってたかもしれない(爆笑)」」
 
「「どうせ母さんはまたでないんでしょ」(笑い)根にもってるんだよ(笑い)。おやじは映画では泉谷さんがやったけど、おふくろは出番がありませんでした(笑い)当然今回も出ません」
 
「けど、実生活でもいなかったんだから、しょうがない。それぞれ家庭の事情があるんだから(笑い)」
 
「うちは、おやじが新聞作ってた。北海道足寄町で、足寄町の政治とか予算とかそんなことを細々かいた新聞をおやじは作ってた」
「毎日出すわけではない。おやじの気分で出してたから(笑い)、とかちときどき新聞(爆笑)」
 
「おやじの仕事じゃ食えない。だからおっかあは、俺たちがガキのときから土方行ってて、土木作業員な。雨降らない限りは仕事行ってるわけよ」
「夏場は飯場くらしよ。現場に寝泊まり」
「北海道は11月〜3月は現場がないからな、雪とか氷とかでできない」「そうすると、11月から6か月くらいは失業保険が出る。これを持って、家に帰ってくればいい母親です(笑い)」「ところがおっかあは、失業保険を持って、全道北海道各地で繰り広げられてた、花札の賭場に出入りしていたんだ(笑い)」
「父さん、俺、死んだねえちゃん、明人、我々を見捨てるように、あちこちで花札をやってました(笑い)」
 
「私が小学校3年くらいかな、普段寡黙なおやじが、朝テンション高く「絵里子、千春、明人、早く起きておいで。新聞をみてごらん。母さんが出てるよ」(大爆笑)」
「小3のとき、はっきりと出てました。「賭博現行犯逮捕、松山ミヨ」(大爆笑)」
「父さん嬉しかったんだな。(爆笑)テンション高かったもん。」
 
「2年後、俺が小学校5年のときに、近所の悪ガキどもで万引きをして、警察に捕まった。「もう二度としません」とか言って朱肉で母印押させられたりして」
「で、家に帰ったら、なぜかそのときおふくろがいたんだよ。俺の顔見て「千春、父さんがどんな仕事してるかわかってんのか。お前、父さんの顔に泥をぬるんじゃない。(大爆笑)お前をそんな子に産んだ覚えはない(爆笑)」ってガンガン焼きいれられて、ボコボコに殴られて。」
「俺は殴られながらな、俺は魔がさした万引きだよ。けど、お前は賭博の現行犯じゃないか(大爆笑)」

「そんな家庭で育ちました(爆笑)」

「あの父親であの母親で、兄弟3人で、いくら貧しくても楽しい」
 
「うちのおやじは70くらいから痴ほう症になり」
「もう鈴木宗男さんが国会議員のバッチをつけてました」「宗男さんがうちにきたときに、おやじが「宗男くん、君早く選挙に出なさい(笑い)今がチャンスだから」宗男さん、もうバッチつけてるのに」「そしたら、宗男さんは、おやじの手を握って、「お父さんありがとうございます。お父さんに応援してもらえれば、絶対当選できると思います。がんばりますから見てて下さい」」
「宗男さんには感謝するわな。普通は「お父さん、私もうバッチついてますよ」っていうじゃないか。そこを「がんばります」って言ってくれるんだからな」
 
「貧しく苦しくつらい毎日でありました。何か、かけがえのないものを共有していた時代でした」

「貧乏でも貧しくても、卑しい人間にはなりませんでした」
「どうかみなさん、あなたがどんな生活環境でも、どんな状況に置かれようとも、卑しい人間にだけはならないでください。貧しさは耐えられます。苦しさは乗り越えられます。けど、人は、卑しさからは、もがき抜け出ることはできなくなってしまいますから。」
 
「みんなにこれだけは約束します。松山千春は、このあと、毛がぬけようが、歯がなくなろうが、たとえ痴ほう症になっても、卑しい歌だけは歌いません」
 

7曲目「淡々と」
 
途中の朗読パートはたっちゃんでした。厚木でもたっちゃんだったけど、各地、メンバーが持ち回りでやってるみたいですね。
 
続けて
 
8曲目「ガリレオ」
 
私、この曲大好きなんですよ。深いですよね。歌詞が。でも、それを軽い感じで歌うのが好きなんですよね〜
フォークシンガーって感じの曲。
この曲を聞くと、恵比寿のコンサートをすごく思い出すんですけどね。
 

「今日は「淡々と」の語りの部分は好永(拍手)。彼はいい語り部だよな。お前はね、なかなかね「淡々と」の雰囲気いいね。もう一度やってみ」
 
メンバーが演奏して、もう一度語りの部分をたっちゃんが・・・(会場大拍手)
 
「やっぱりね、小学校高学年からシンナー吸ってただけあって(笑い)さすがだな。あ!今はやめてます(笑い)」

「やっぱり、そういうとこで苦労しないとな。若い時は」
 
「日本人は働かないといかんよな。税収40兆で、今は、企業が不景気だから、国の税収は年間、みんなの所得税とか法人税とか40兆」
「けど、国家予算は93兆。この53兆の部分は赤字です」
 
「正直、民主党政権に希望を抱き、自民、公明とは違うんだ。われわれが政権とれば、緊縮財政、公共事業の無駄をカット、予算組み替え、埋蔵金を減らす、と散々希望を抱かしてくれた、民主党政権の作った予算が、税収40兆で93兆の予算ですよ」

「俺としては、別に野田さんにも菅さんにも鳩山さんにも恨みはないですよ」
 
「お前らみたいな卑しい人間が予算をたてるから、こんな卑しい予算になる。もっと苦労を重ねた人間が考えたらこんなバカな予算は作らない」

「まして予算が足りないからといって、みんなに消費税をお願いしたい」「お前、何のために学校いったのよ。東大でたとか京大出たとか」「足りないから増税します。それだったら、小学生でもできる。お前ら勉強してきたなら、少しは知恵を使えよ」
 
「選挙のときだけ「お願いしますお願いします」って声を大にして。バッチをつけることがゴールになってる」
「今の国会議員てな、本来はバッチをつけて、そのバッチの威力をもってみんなの生活を豊かに、日本の国を平和に、国民を守る政治力だろ」「今はバッチつけるのがゴールだから」「つけたら何考えるかって、次の選挙のこと考えてる」

「頼むよ。我々国民がひとりひとりが、もっと頭よくならないと」
「バカな国民が選ぶとバカな国会議員しかできません。良識ある知識ある国民が選べば、それなりの風格をもった政治家が生まれると思います」
 
「我々はただこの世に生まれてきただけ、それだけでも尊いこと。さらに働き、働きに生きがいをもつ、すばらしいことだと思う」
 
「よくみんなは、次の世代、後世の人間に、つけをまわすな。こんないっぱい借金して、って言います」
「しかし、後世の人間、我々の子や孫に現金を残してどうするんですか?」
「考えてみてくれ。お前らが、がんばって、自分は食うものも食わず、我慢して、子供たちにと働いて稼いでためて、2億、3億と子供に残してぽっくり逝く」
「2億、3億相続した子供が働くか?黙ってたらお金がある。使い切るまで働かんだろ。だから金残してもしょうがないんだって」
「これ、2億、3億ならまだわかる。中途半端に200万、300万、(笑い)もっと困っちゃうな(笑い)」
 
「金を残すくらいなら、後世の人間には仕事を残してあげなさい」「金を残す必要はない。しかし、仕事は残してあげなさい」
「金持ちになりたければ、一生懸命働けよ。ほしいものあれば一生懸命働けよ」「そうやって循環していけば、そしたらまともな日本になる」
 
「自分は北海道の足寄、こっからギター1本持って、よく歌手になれたと思います。フォークシンガーになれたと思います」
「これもひとえに(笑い)自分一人の力です(爆笑)」
「まあ、微力ながら、みなさんのささえもあって(笑い)いや、謙虚に謙虚に(笑い)」
 
「35年過ぎようが何年過ぎようが、俺は俺でいたい」
「態度もでかい、言葉づかいも悪い、いくら言われようと、もしそれを取ったら、単なるハゲた兄ちゃん(爆笑)笑いすぎ(笑い)」
 
「俺は俺でありたい。そのためには、いつもいうけど、自分には厳しくありたい。しかしそれを人様には求めない」
「なあ、メンバー」(笑い)メンバーみなさん、うなづく
「自分に厳しく、けど、人様には求めない。人様には人様の事情があるんだから」
「自分には厳しく、それを他人には求めない。日本人、みんなその気持ちがあれば、世界中の人がそうであれば」
「そしたら、世界は大きく変わると思う」

「後年、後世の歴史で、あ!世界はあそこで変わったんだ!2012.5.16に松山千春のあの一言から、世界が変わった(笑い)」
「たぶん何百年たったら、歴史の教科書にそう載っている」「またその歴史をみなさんは目の当たりにした、いわゆる生き証人(笑い)」
 
「変えよう。、どんな姿になっても、日本をまともな国にしたいですから」(拍手)
 

9曲目「我が家」
 
声は大丈夫そうです。だんだんよくなってきたと思う。いい歌ですね。
 

「昭和52年1月25日、松山千春、この世界にデビューしました」
「北海道はSTVというラジオのディレクターの竹田健二さん、竹田さんが自分の生みの親です」
「まさかフォークシンガーになれるとは思ってなかった。竹田さんが「千春がんばろうや」」
「ついにデビューして、そのあと8/8に北海道厚生年金会館、初めてのコンサートをやり、8/27に竹田さんは亡くなってしまいました」
「その日以来。たった7か月ですよ。俺をこの世界に育ててくれて、7か月、で、亡くなってしまったわけです」

「俺はそれ以来、コンサートとかで「竹田さんどうでしたか?」「竹田さんこんな曲できたんですけど」「お前こんな歌つまんないよ」「千春、ちゃんと飯食ってるか?」「ちゃんと足寄帰る金あるか?」」
「何から何まで竹田さんに相談してた」「その竹田さんが亡くなって以来、俺は報告する人を失いました。また、叱咤、馬鹿野郎とか何やってんだとか」
 
「こうやって、35年たって、こうしてみんなの前で、わかったことが1つあります」
「昭和52年8月27日竹田さんを失いましたけど、それ以来、あなた方が竹田さんだったんですね。みんなが竹田さんだったんだな」

「俺はどんな歌を歌うのか、どんな曲を作るのか。週刊誌に出たり、新聞に出たり、また余計なことをやったね。あれは直らないね。そんなこと、いつもみんなが見てくれる」
「これからも変わらない、叱咤、お前たちを竹田さんだと思って、これからも報告させてもらいますから」
 
「すべてはこの歌から始まりました」(大拍手)
 

10曲目「旅立ち」
 
イントロでの会場の手拍子がすごい。そろってきれい。

この曲を最後にこの話のあとに持ってくるのは、やっぱり反則ですよね〜まあ、舞台のこともあるからそういう構成なのかもしれないけど・・・
 
 
そして幕が下りました。「ありがとう」って声もなく、歌ってる最後に幕が下りるのは、ちょっと違和感かも・・・
 
厚木では、最後の話のところから、千春は涙ぐんでて、「旅立ち」の間奏で涙をふいたりしてたけど、さすがに東京ではそういうこともないみたいで。
やっぱり初日ではあまりに感極まっちゃったんですかね。
コンサートを重ねるごとに、そのあたりは落ち着いているんでしょうけど、でもやっぱり竹田さんの話はジーンときます。
 

会場は、アンコールの拍手です。
 
 
再び、幕が開き
 
11曲目「LaLaLa」
 
久々に聞いたかも。。。オリジナルの頃より、テンポが遅かったから、、、スタンディングするかどうか迷う感じでしたけど。でも、周りが立ったんで、私も。
 
「ど〜も!」
 
 
12曲目「愛は・・・」
 
大好きなこの曲・・・嬉しいな〜体がノッテます。会場もノッテます。
 
「ありがとうございます」
 
 
13曲目「青春?」
 
おおお〜これも好き!!
前に書いたかも知れないけど、私が初めていったコンサートのときのアンコール曲だったんです。それも。。。カラオケだった(笑い)
その頃より、声はかなり太くなったけど・・・でも、その当時を思い出します。
 

「ありがとうございます」「これからも精いっぱい歌いますんで、2階席の方、後方席の方、最前列の方、お元気で!!」
 
 
14曲目「長い夜」

やっぱり、この曲になると、会場の盛り上がりが一段とすごいです。1階はほぼ総立ちです。2階席も・・・

千春も声の調子がよさそうで。。。よかった!!パワフルに歌ってくれました。
 
 
「ありがとう」「どーも」で幕がまた下りました。
 

会場はさらに拍手です。千春を待ちます。
 

メンバーの演奏が流れ、会場は千春を呼ぶ声が・・・そして、千春が登場、大拍手。
 

「東京のみなさん、ありがとうございました」会場大拍手
「しばらく行ってませんが、群馬、埼玉、栃木、茨城、千葉、山梨、この間厚木やりましたんで、ひょっとしたら静岡」そのたびに拍手
「本当か、みんな適当に拍手してるんじゃないの?」
「沖縄?本当か?」
 
「自分たちのふるさとをどんなことあっても守ってください」(大拍手)
「われわれがどんなときでも帰れるふるさとを」「自分は北海道!!!(叫んでました)」
 
 
15曲目「挫折」

中道さんのピアノがすごくいいです。1番はピアノだけでしっとりでした。
声もすごく出てました。
 
 
「どうも」「気をつけて」「ありがとう、みんな」
「また、東京きます」「どーーーーーーーーーーーーーも!!!」

千春は叫んで、マイクを落とし、会場に笑顔で手を振って、お辞儀をし、ステージを下りました。
 

厚木のときにすごく思って、やっぱり今回の東京でも思ったんだけど(ブログにも書きましたが)、なんか千春が達観しちゃってるような感じを覚えました。
特に、厚木は、オーラスが「炎」だったこともあって、やりきった感というか。。。もう、いつ、どうなってもいいっていく覚悟みたいのを感じてしまったんですよね。
北海道での野外ももう最後だっていうし。
選曲も話の内容も含めて、そんなことを私は感じました。もちろん、千春は、歌えるうちはずっと歌ってくれると思うけど、でもどっかで覚悟もあるんじゃないかな〜と
だから、すごくいいコンサートで、すごくいい選曲で感動するんだけど、余計つらいというか、切ないというか、そんな複雑な感じでした。
 
東京は、ちょっと声が心配でした。前日よりはよかったとのことだけど、やっぱり高音部が心配。それでも、全身全霊をかけて、いつも歌ってくれる千春には感謝です。
 
夏の十勝、行きます。千春の最後の野外を一緒に楽しんで来ようと思います。
 
あ!それと、これもブログに書いたんだけど、東京のコンサート、オーラス「挫折」、千春がステージを下りても、メンバーはまだ演奏を続けてます。なのに、千春が下りてすぐに幕が下りてきたのにはびっくりしました。メンバーの演奏終わってないんですよ。だから、幕が下りたあとも、ずっとメンバーは幕の中で演奏。。。
こんなの初めてですよ。ちょっと〜しっかりしてください!!って、思いました。