11月7日AM11:00 松山 明 危篤の連絡
 この日は前日の宮津のコンサート終了後、大阪に戻り、翌日8日に出場を予定していたVISA太平洋マスターズのプロアマ戦の為東京へ移動する予定だった。
 ホテルに一報が入ったのはホテル出発の直前だった。急拠予定を変更し北海道へ戻る。札幌の自宅へ着いたのがPM5:00頃。足寄へと帰る準備をしていた。その時に電話が鳴った・・・。
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11月7日PM6:24 松山 明 永眠・・・・・・。
 何度となく往復した札幌〜足寄間の道のり・・・。
千春にとっては、これまでの道のりの中で一番長かったのか・・・。一番短かったか・・・。
深夜12時過ぎに言葉を交わすことのない再会にになった。
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11月12日 STVラジオ 「風に乗せて」
 11月7日の午後6時24分に父さんが亡くなりました。
 俺がこの仕事を始めた時から自分の手で両親の葬式を出せないんじゃないかって思ってましたからね。またそれは親父やおふくろも了解してくれてましたからね…。しかし今回のツアーのスケジュールから言うと、もうこの日しかないっていうね…、ポッカリと空いた日に逝ってくれましたからね…。自分の手で親父を送ることができたっていうのが唯一良かったなあと思いますけどね…。みなさんからも暖かい声援とかお手紙もたくさんいただきまして、自分も落ち込んでどうしようもなくなってしまうというようなこともなく、これからもがんばっていきたいと思いますけどね…。自分の中でもある程度は覚悟していたことでしたからね…。また親父もあまり苦しむこともなく亡くなりましたので、不幸中の幸いという気がしますけどね…。
 11月6日の日はですね、自分は京都府の宮津というところで、日本三景の一つであります天の橋立のあるところてすけど、そこでコンサートをやりまして、そのコンサートの終了後大阪の方に戻っていましてね…。それで8日の日にはVlSA太平洋マスターズというゴルフの大会のプロアマ戦に出る予定でしたから7日の日の13時30分頃の新幹線で東京へ行く予定でしてね…。昼すぎくらいには出発する予定だったんですよ…。ところが家の方から出発直前に電話が入りまして、親父の容態が思わしくないということだったんで、とりあえずゴルフをキャンセルして急拠北海道へ帰ろうということにしてね…。とりあえず札幌に戻ったんですが午後6時24分に亡くなったという違絡が入りましてね…。
 まあ永い闘病生活でしたからね…。途中からは痴呆症で俺のこともわからないくらいにボケてしまいましたからね。しまいにはおふくろや姉貴までわからないという状態でしたから…。まあそんな親父でしたけど、俺は一分でも一秒でも長く生きていて欲しいなあと思ってましたけどね…。そのかいもなく、息を引き取ったわけですけどね…。
 しかしさ、あの…お通夜とかさ…町内会の人達が一生懸命がんばってくれてな…。もうあれには敬服しましたね…。俺は身内の葬式とか初めてだったしさ、何をしていいのかわからないじゃないか…。そうしたらさ、町内会の人達が「自分達が全部やりますから、千春さんは何もしなくていいんですよ。」って言ってくれてさ。もう寝ないでがんばってくれたからな…。本当に感謝しています。またね、全国各地あらゆるところからお花とか弔電をいただきましてね…、とてもうれしかったですね…。それに友達とかもたくさん来てくれてな。東京、大阪、名古屋、その他全国からたくさん来てくれてな…。しかもその日はまたひどい天気でさ…。飛行機は大揺れだっていうし、列車のダイヤも大幅に遅れるしさ…。そんな中、あんな田舎町に来てくれてさ…。
 俺が全国でコンサートを演る時のイベンターの社長達とか、レコード会社の人達とかな…、しかも今はコロムビアレコードなんだけど、昔、デビュー当時のキャニオンの人達が来てくれたりさ…。あと、元阪神タイガースの川藤さんが通夜の席に来てくれてな…。その日は高知にいたらしいんだけど飛行機で大阪〜札幌と乗り継いで、そこから列車で6時間くらいかけて来てくれてな…。夜中の1時過ぎくらいに着いて焼香してくれてさ…。
 告別式の日なんかは東京から朝一番の飛行機で帯広迄来てそこから車で来てくれた人もたくさんいたしさ…。着いたらちょうど出棺の時間で俺なんか挨拶もろくにできなくてなあ…。その中に徳永が来てくれてな…。びっくりしましたね…。まあ、本当に嬉しかったなあ…。
 葬式っていうのは本当にいろんな人達にお世話になるなあ…。こういう時には本当に人の“情”っていうのが身にしみるな…。
 親孝行したい時には親は無しっていうけどさ、普段口うるさかったりわずらわしかったりするもんだけど、いざいなくなってみると本当に心にポッカリと穴があいたようだもんな…。今になって想うと仕事柄なかなかそばにいられなかったっていうこともありますけど、もっといっしょにいてあげればよかったかなあと思いますけどね…。
 今回スポーツ紙なんかの報道関係でうちの親父が院内感染による死亡ということでずいぶん騒がれたんだけどさ…。足寄の病院の担当医のコメントとかも載っていたりしてな…。まあこれは正直に言ってさ、ケースバイケースでいろいろあるんだけど、本来の病院の役割というのは病気を治すところですから、あってはいけないことなんでしょうけどね…。ただ、その反面いろいろな病気の方がいるわけですから当然院内にはいろいろな病原菌が存在してるわけですよね。そのことに対して病院側は何も対策を抗じていないわけじゃないわけですからね…。感染してしまった親父はたまたまその菌に対する抵抗力がなかったからで他にも入院されている方々、親父と同じ条件下に置かれていながらも感染しなかった方々もいるわけだからさ…。これはもう何とも言えないよな…。これがあきらかな医療ミス…、例えば注射針を消毒もせずに使ったとかさ、菌が付着していると思われるようなガーゼを使ったとかさ、それが原因で感染したっていうんであれば別だぞ…。だけどそうではないんだから、俺はこれが親父の天命だと受け止めてるし、病院側になんら責任を追求するつもりもないよ。病院のスタッフの方々も精一杯の努力をして親父の治療に当ってくれたわけだからさ、俺はその努カに感謝こそすれ、批難するつもりは全然ないわな…。俺は運命論者ではないけど、これが俺の親父の運命だったんだろうと思うけどな…。今、院内感染が話題になっているみたいで今回のことも大きく取り扱われてしまったわけだけどさ、じゃあ普段の生活の中で感染する病気だってあるわけじゃないか…。電車通勤していてたまたま前にいた人が風邪をひいていてその風邪をもらってしまってさ、それがひどくて肺炎になったからってその人を訴えたりするわけじゃないじゃないか…。「まいったな、あの親父の風邪うつされちゃったよ。」とか言うくらいで責任を追求するわけじゃないじゃないか…。それと同じだと思うんだ…。
 今回は本当にたくさんの方々にお世話になって、また、たくさんの励ましを頂戴しまして、本当にありがとうございました。自分は松山明という親父を、親父の生き方を尊敬し、また偉大だと思っています。まだまだ息子は父を超えられずにいると思います。これから松山明を超えるように、自分もがんばりたいと思います。
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11月11日 名古屋市民会館にて
 今日は、私の親父が死んでから初めてのコンサートということもありまして…。まあ、ろくに喪に服している暇もなく…。
 うちの親父もね、俺がデビューするのが嬉しかったんじゃないかな…。いろいろ調べてたらな、親父が新聞や雑誌の切り抜きなんかをたくさんスクラップしてくれてな…。まあ…今日はみんなもいっしょに、うちの親父の供養をしてやってくれや…。

 ♪旅立ち ♪かざぐるま ♪銀の雨 ♪青春
 ♪季節の中で ♪窓
 ♪夜明け ♪恋 ♪ 人生の空から

 親父のために書いた曲というのはいくつかあるんですけどね…。自分にとっては素晴しい、りっぱな親父でしてね…。みなさんの中でもお父さんやお母さんを亡くされた方もいらっしゃるでしょうし…。ただこれはさ、あのお…、失ったものでなければわからない気持ちかもしれないな…。なかなか言葉では言い表わせられないんだよな…。これだけ寂しいんだとかこれだけ悲しいんだぞとか…。俺もさ、ある程度覚悟はできてたってこともあるからさ、わりと平気でいられたんだよ…。だから通夜とか告別式に来てくれた人達に挨拶したりさ…。自分は長男だからさ、俺がしっかりしないとな…。母さんや姉ちゃんはもう全然だめだしな…。俺がしっかりしてないとと思って我慢してたんだけどな…。でもな焼場に行って焼かれる直前だな…。もうこれで父さんとは会うことができないんだなあと思った時にはさすがにそれまでこらえていた涙がさ…、流れてきてな…。さすがにちょっとこらえきれなかったな…。それと最後の喪主の挨拶の時だな。喪主は母さんだったけど施主ということで俺が親族を代表して挨拶したんだけどな…。その時はつらかったな…。我慢しきれなくてな、どうしても涙が出てきてしまってな…。さすがに言葉に詰まってしまったからな。松山千春の父さんが死んだということではなくて、松山明が死んだんだよ。その息子が松山千春だったんだよ。
 不思議だったのはさ、俺には女房、子供がいるだろう…。その子供がさ、女房が泣いてる時は俺の横に来て「お父さん、お母さんが泣いてるよ。」って言うんだよ。全然平気だったんだよ。ところが俺がさ、思わず泣いてしまった時には泣き始めちゃうんだよな…。子供にはあんまりわけがわかってないと思うんだ…。でも俺が涙を流すと「お父さんが泣いててかわいそう。」って言って泣くんだよ…。「お父さんのお父さんが…死んだんだよ…。わかるか…。お父さんの…、お父さんが…、死んだんだよ…。」そう言っても、まだあの娘には理解できないかもしれないけどな…。
 やっばり、いくら長い闘病生活で覚悟ができていたとはいえショックだなあ…。もう、二度と会うことができないんだからな…。ボケていようが、俺のことがわからなくてもさ…、とりあえず生きていれさえすれば会えるわけだからな…。
 今日は親父のために書いた曲で、いろいろとあるんだけど、親父のボケた時に書いた曲で『あなたが僕を捜す時』という曲を…。
 

あなたが僕を捜す時
瞳を閉じてごらんほら
いつでもそばにいるはずさ
愛しているさいつだって
 生きているそれだけで
 人は皆 幸せさ

あなたが涙を流す時
腹をたてたり笑ったり
たとえ自分を投げ出しても
愛しているさいつだって
 生きでいるそれだけで
 人は皆 幸せさ

風のささやき聞こえますか
そそぐ陽射しが感じますか
あなたの道が見えますか
愛しているさいつだって
 生きているそれだけで
 人は皆 幸せさ
 生きているそれだけで
 人は皆 幸せさ

 まあ今日だけだから…。明日からはまた違う気持ちで…。今日だけはさ…。
 正直言って今日は幕が開いてからずっとな…、いつ涙が流れるかと思いながら…、でもそれをこらえながらきたわけだけどさ…。本当はさ、一日中でも泣いていたいくらいなのさ、それくらいの思いがあってな…。でも自分にとってはステージが最高の場所なわけだから…。この場所だけは離れたくないし大切にしたいからな…。親父は俺のスケジュールを知っているかのように死んでくれたからな…。 1日でもずれたらだめだったからな…。もうこれしかないっていう日に往ってくれたからな…。自分の手で葬式をできたっていうことだけが、うれしかったな。親孝行できて…。
 今日は、私事でありますがこのステージを借りて親父の供養をさせていただきまして、本当にありがとうございました。
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